私の宝物






このページは私の宝物の紹介コーナーです。
まあ、宝物と言っても大したものではありません。単に「なかなか捨てられないもの」と言った方がいいかもしれません。
私は今では営業の課長をやっていますが、5年前まではメインフレームでの業務アプリケーション開発をやっていました。 大規模な社内システムでしたが、この仕事を12年程やった後に出向して営業とセンタ運営を兼務しながらサーバー・クライアント形式のシステム開発もやる「なんでも屋」を4年経験して去年復帰しました。


我々の年代は入社当時に企業のOA化が盛んになった事もあり、事務所単位でオフコンを導入してどれだけ業務が効率化できたか全国で(社内で)競争した経験もあります。
早い話、入社からつい最近までシステム開発やってた様な物です。そのせいかPCの自作に目覚めるのも早くてi386時代には既に秋葉原で輸入パーツを漁ってPCの自作に明け暮れていました(^-^A;;
OSも色々と弄りました。最初に弄ったのはアセンブラですが、その後東芝から8ビットのパソピアと言うパソコンが売り出されたときにBASICに移り、会社ではデジタルリサーチのCP/Mなんてのを弄ってましたね。
あの頃の憧れはOS/9ですね。8ビットのOSでありながらマルチタスクを実現していたと言います。欲しくても手が出ないのでどの程度の能力があったのか不明ですが(^-^;;


とまあ前置きが長くなりましたが、当時からの数々のOSを未だに捨てられずにFDで持ってたりします。
これが「なかなか捨てられない」私の宝物なんだと思っています。
なんてったって私の人生そのものって感じですからね。
でも、流石に8インチのFDDは捨てましたので、その当時の物は残っていません。i386以降の物が中心になります。


それでは先ずNovell-DOS-7から行きましょうか。一般にはDR-DOSと言った方が判りやすいですね。



これは懐かしいOSです。私はDOSの時代からLAN接続をやっていましたが、DR-DOSはパッケージで購入すると中にPersonal Net Wareが同胞されていたので随分と重宝しました。
新しいマシンを組み立てるとOSが必要になりますが、大抵はこのDR-DOSを購入してインストールしていました。今でも4セット手元に残っています。
ちなみに一緒に入っていたPersonal Net Wareはこれです。



同胞ですので、ラベルのデザインも同一の物となっています。
なお、このPersonal Net Wareは単独でも購入することができ、その場合はラベルのデザインが異なっています。これですね。



さて、お次はMS-DOSに行きましょうか。当時のIBM-DOS(PC-DOSと言います)も持ってたのですが、引越しの時に紛失してしまった様です。
同じバージョンのDOSでもMSとIBMは微妙に違ってて、組み込まれるドライバもIBM版は独自のものが用意されていました。
人によっては使い勝手が悪いと言われたIBM版ですが、私は結構好きでしたね。 当時はフリーエリアを如何に確保するかが腕の見せ所でしたので、私はPC-DOSをベースにDR-DOSのドライバやフリーのドライバを組み込んでました。
こうするとMS-DOSを普通に組み込むよりもかなり大きなフリーエリアを確保できました。今でもその構成で作ったFDが残ってたりします(^-^)
本当はMS-DOSの5.0を載せたかったのですが、IBM版とともに紛失してしまった様です。



上にも書いてますが、DOS時代のマシンは如何にフリーエリアを確保するかと共にいかにCD-ROMを使うか、また、いかにPCMCIAを使うかが問題でした。
この頃からサブノートジャンルのノートが日本および世界で流行りだしたこともあり、色んな会社からPCMCIAコントローラやドライバが出てきました。 これを如何に上手く組み込むかが腕の見せ所であった訳です。これはwindows3.1でも同じです。windows3.1はDOSの上にGUIを載せただけのOSですので、メモリの使い方などはDOSの時代と大して変わってません。 そのためノートPCにCD-ROMを組み込むとなると(当時はすべて外付け)PCMCIA経由となりますから、ドライバをてんこ盛りに組み込まないと使えない状況でした。


ですので普通に組み込むとメモリを食い潰してしまい、なにか動かすとすぐにフリーズするマシンになってしまう訳です。
なんせたった640KBしかCPUが管理できるエリアが無かった時代のOSですからね。
そういう意味ではこの時代まではPCって結構なスキルが必要で、一般の人には敷居がやたら高かったのは事実です。
私が当時使ってたのはこのPCMCIAドライバとCD-ROM用のドライバです。CD-ROM用のは秋葉原に在ったクォーレストと言うお店で売ってたDOS/V機に添付されてた物です。
私のショップブランド1号機はこのクォーレスト製でした(^-^)



次はwindows3.1と行きましょうか。これはもう解説は要らないですね。


解説が必要なのはこっちの方でしょう。windows3.11です。WFW3.11と一般的に言われるOSです。


今の日本にフルセットで何組のこっているんでしょうね?
Windows for workgroup3.11は、日本では未発売のOSです。そういう意味ではDR-DOSだってそうですけどね。秋葉原はこの手の輸入品が自由に手に入る素敵な街でした。
さて、このWFW3.11は日本で売られていたwindows3.1と比べて大きな違いがありました。
それは名前のとおりネットワーク機能をOS自身が持っていたことと(今では当たり前ですが、昔はOSと言えばスタンドアロンでの利用を前提にしていました)、ディスクアクセスが32bit化されていたことです。
ですので、HDDへのアクセススピードが速く、実にキビキビと動くOSでした。これがなぜか日本では発売されなかったんですね。残念です。

そう言えばDR-DOSも本来の位置づけはNetWareを売るためのおまけでしたね。頭のDRでわかるとおりデジタルリサーチ社が開発したDOSです。これをノベルが買い取って組み込んでいたのですが、後に売却されてOpenDOSとして一般に開放されました。
でも暫くしてライセンス料が必要になって今はどうなったんでしょ?所有権が転々と移ったらしいとまでは聞いてますが...


さて、WFW3.11と来たら次はNT3.51ですね。NT3.5も持ってましたが、全く使い物にならないOSで捨てちゃったみたいです(^-^A;;


これはまあまあ使えるOSでした。サーバー用として使いましたが少なくともWindows3.1よりはましなOSだったと思っています。
でも、安定性という点ではこちらも抜群でした。IBMのOS/2です。


これはVer3のWarpですが、私はこのひとつ前のバージョンから使っていました。
このOSの面白い所はOS/2の中にwindows3.1を持っていて切り替えて使えるってことです。面白いだけでなく16bitアプリを動かしたときの安定性はwindows3.1を凌いでました。そのため大規模システムではwindows 3.1のクライアントを使用せずにOS/2を使用する企業が多かったですね。実はうちの会社も全国で3万台以上のクライアントがぶら下がっていましたが、そのOSはOS/2でした。

その他の特徴と言うと、このVer3はNT3.51とほぼ同時期にでたのですが、Warpにはインターネット導入プログラムが最初から入っていて、個人でxxxx@ibm.netのアカウントが貰えました。
もちろん毎月の使用料は掛かりますが、全世界に500箇所以上のアクセスポイントがあり、日本で取得したアカウントが全世界で使えると言う画期的なプログラムでした。
私もアメリカ出張の際にはibmのアクセスポイントを利用しました。アメリカ国内なら何処でも市内にアクセスポイントが在るので、ホテルに1ドル払えば使い放題でした。(アメリカは45セントで市内通話が使い放題でしたね)


最後にNT4.0ですね。これは今でも現役で動いている会社が多いと思います。
メモリ管理がちょっとルーズな点を除けば使い勝手も改善された良いOSだったと思っています。





番外編
私が持っている物の中でも変わり者がこれです。サン・マイクロシステムズのワークステーション用OSで1.1.2になります。
実はこの1.1.2がサンマイクロがリリースした最後のBSD系UNIXになります。今のsolarisはBSD系じゃないんです。
ですので、このOSは結構欲しいという人が居ました。当時、私はSS5とSS10の二種類のワークステーションを持っていて、片方にはRedHat LinuxのSPARC版を入れていました。
まあ、私の当時のスキルでは使いこなせないので売っぱらっちゃいましたけどね。でもOSだけは記念に残してあります。(^-^)



その他にもintel X86用のSolarisも持ってて、これは会社のDELLマシンに入れて遊んでいました。